里山建部 「森の育て親・建部」
連絡協議会 事務局長
たけべ新聞
編集長
勝部公平氏
◆職業
団体役員
◆子供のころになりたかったものは?
中学校の頃の夢ですが、南米パラグアイに移住したいと思った。
男ばかりの5人兄弟の次男として、岩手県の酪農家に育った私は、
当時は、成功を夢見てブラジルに渡る人が大勢おりまして、
実家は酪農・山林・稲作をやっていて、約60町歩(6万㎡)の山
母親は牛の世話などでとても忙しくて、
自然豊かな田舎での生活からは多くのことを学ぶことができました
飼っている羊が草を食べるのはいいが、
羊がたくさん生まれた年は、家で殺して、
ただし、
このような体験が、後の人生で役に立ちました。
建部に来て、親子キャンプで、
さばく前に皆でお祈りした後、首を落とし、血抜きをして、
「野蛮だ」「虐待につながる」などです。
しかし子供たちは、「玉子ができる過程がはじめてわかった」、「
人間は他の動物の命をいただいて生活がなりたっていることを教え
本当の愛情はこのような現実を直視させることも大事ではないでし
だから、子が親を殺し、
命があること、刺せば死んでしまう事、
高校生の頃になると、
兄は跡取りだが、次男の私は将来家を出なければならない。
兄は東京農大に進学し、
当時は、ペットボトルのお茶はなく、
途中の停車駅で熱湯を積み込むのだが、
卒業後は東京に残り、スーパーに就職した。
ここでは、お店での販売、商品の仕入れバイヤー、
いろいろな経験が後の人生にも大いに役立ちました。
そんな中、結婚し子供を5人授かったが、
当時私は会社人間の典型で、
私が35歳の頃、
◆毎日欠かさずしていることは?
朝早く起きて、新聞を読むことですかねー。
◆人生に影響を与えた言葉は?
○「運命は変えることは出来ないが、
これは、人生は前向きに、
○「最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるのでもない。 唯一生き残るのは、変化できる者である。」
これは、進化論で有名はダーウィンの言葉ですが、
○「自由には責任が伴い、平等には区別が伴う。
京都大学名誉教授で哲学者:
西田幾太郎氏の言葉ですが、
自由な現代人は他人のせいにばかりしている。
自己責任を忘れない社会でありたい。
平等がゆがんでいるように思う。
差別はいけないが区別は必要です、
ここでいう博愛は、
ライオンは自分の子供を谷底に突き落としながらも生きていくすべ
◆人生の転機は?いつ、どんなことでしたか?
いろいろありました。
今までは、いくら儲けたらいいかしか考えてこなかったのに、
それから20数年前、
私たちは、自分の自由な時間を最も大事にします。
長期休暇をバカンスというが、バカンスの語源はバキューム、
自分のライフスタイル中心にものごとを発想する。
また、全国重症心身障害児を守る会での活動、
それから、親の会の仲間と成年後見のためのNPO法人を立ち上げ
◆人生で影響を受けた人物、本は?
司馬遼太郎著「竜馬が行く」が好き、息子に「竜太朗」
坂本竜馬は、発想力が柔軟で時代を見る目があり、
◆問題障害は?いつ、どんなことでしかた?
東京から建部に来たときは、一瞬、都落ちした気分になった。
最大のピンチと思ったが、ピンチはチャンス!
周囲には豊かな自然がいっぱいある。
発想の転換が大事ですよ。
建部町に来て、地域の活性化に取り組んだ。
60歳で、現UAゼンセンを辞めて、里山づくりに携わった。
里山建部をつくる前、
飲み会や茶話会代がないなら稼ごうと、
ここでのカンパニーは会社ではなくご近所さんや「仲間たち」
そんな時、地域活性化の情報が岡山県から入って、
補助金もあったが、役員からのカンパ等で、
平成27年には岡山県から、
里山の他にもキャンプ協会を設立したり、
なぜ、
妻からは、「お父さんは、のほほんとプラス思考でいいわねー」
失敗したこともいっぱいあるが、人生の肥やしになっている。
◆これからの夢や希望は?
これから75歳までの後5年間は、
75歳になると後期高齢者になるので外向きの事は少なくし、
里山建部 「森の育て親・建部」連絡協議会
http://satoyama-takebe.jimdo.
たけべ新聞